ハルコのMM日記

双子の子育てに全力で手を抜きながら、日々の不平不満を垂れ流す日記。

1絨毛膜1羊膜性双胎、私の場合②

1絨毛膜1羊膜性双胎。
じゃあ、その珍しい妊娠の、出産まではどういう流れだったのか思い起こしてみますと、

妊娠6週、双子妊娠判明。
妊娠8週、個人病院から市民病院へ転院。
妊娠9週〜11週、妊娠悪阻で入院。この時にエコーで見る2人の位置が近過ぎる、膜が見えないということで1羊膜の疑いが出る。
妊娠12週、市民病院からの紹介状を手に大学病院へ。1羊膜確定。そのまま大学病院へ転院することに。
以降、妊娠15週から週1での検診。
妊娠26週、管理入院開始。
妊娠31週、破水からの緊急帝王切開で出産。

こんなんでした。
元々、双子という事で市民病院で37週に帝王切開の予定と言われ、それがMMだったため大学病院転院時には34週、管理入院した時には諸々加味されてか、32週後半にと、どんどん産む予定が早まっていき、最終的には予定帝王切開の日を迎える前に、破水からの帝王切開になりました。

子ども達はNICUに2ヶ月弱入院し、元々の出産予定日あたりに退院になりました。
体重は姉が1500、妹が1200くらいでの出生で、退院時は2900と2500になっていました。

特殊な妊娠形態と言っても、産後は子どもは早産児、私は帝王切開した人にしか過ぎないので、MMとして特筆することはないです。

何にせよ、産むまで!
産むまでが一番大変でした。

身近にもネットでさえも、MMはそんなにいないので、共感して貰える人もいなけりゃ、安心できる話も、そんなに聞けない。
まぁ、無事に産めた人はネットでわざわざ言わない人も多いでしょうし(双子のその後の育児でそれどころではない)不安な話が多く見えるのは仕方ない。

ちなみ妊娠の報告などは、両親兄弟には悪阻で入院になったあたりの9週から12週前後、その他親族は出産後にしました。
双子というだけでも初期にはバニシングツインの心配もありましたし、MMということで、ただでさえ不安なのに、周りからやいのやいの言われたくなかったので、ほとんどの方へは事後となりましたが、夫や両親の説明もあったためか、労られることはあっても、それで文句や嫌味を言われることはありませんでした。

友人などには子ども達が退院してから。
元々、私が面倒臭がりの性格で友人も少なく、連絡も少なかったので、半年ちょっと音信不通っぽくても、特になにも問題なく。
びば、ひきこもり。

それから、赤ちゃんグッズの用意は、生存確率の高くなると言われている28週過ぎから、子どもの退院までにボチボチ揃えました。
ベビーベッドを夫に買ってもらって、リビングで組み立てた写真を病院で見た時は、赤子が我が家に来るのか!と、今更ながら実感しました。

そうそう、よく聞かれると言われることを書いておくと、
自然妊娠で、夫の母が一卵性の双子です。
一卵性は遺伝は関係ないと言われてますが、どうなんでしょうね。

私としては、双子になったのは、お腹の中で2人が退屈しないように自ら分裂したのだと思ってます。